田口観察法
※注意※1. タイミング
横アリ全ステ検証結果、田口観察にもっとも適していると判断されるのはやはり『オーラス』でした。張り切って滑稽なほど踊りきっています。その滑稽っぷりは素晴しく、涙で前が見えなくなるほどです。
ちなみにあるダンスを偶然目撃してしまった不運な友人が「ねぇ・・・田口、どうしたの?」と素で引いておりました。
ごめんね。怖いもの見せたね。泣かないでね(泣かないよ)。
しかし、ここで重要なのは「がんばるのはオーラス”のみ”である」ということです。
どういうことかというと、「オーラス頑張るのか〜。じゃあその一個前の回も期待できるかな?」は浅はか。
一個前は、基本的に風前の灯と考えてよいでしょう。最後の力をオーラスで発揮させるために、すでにもてる力は使わない、の姿勢が見て取れます。
頭の中はオーラスのことしかないのではないかと疑いたくなるほどです。
(敢えてくりかえすと、この話には誇張と嘘偽りだらけなのであまり信用しすぎないように)
また、「オーラスは頑張る」の原理が適用されるならば舞台において「千秋楽は頑張るのか?」という疑問が生じます。
しかし、田口が出演したことのある舞台はSHOCKのみ。
SHOCK千秋楽など、いかようにして会場へ忍び込めというのですか。
そんなわけで、結論「見た事ないからなんとも言えない」
激しく役立たずです。
更に舞台となるとSHOCKなどは基本的に長丁場。
そうなるともはや「最後に力を残して・・・」どころか後半になればなる程に「明日に力を残せるか?」な状態。
そのような状態となれば、「いつなら観察に適している」なんていう問題ではなくなっているのは明白です。
この場合の問題は「ときおり当たりがある」という点ですね。最悪です。当たりが無ければハズレだってないのに。
ちなみに「当たり」とは「なんだかテンションが高くて楽しそう」ではなく「なんだか体が動いてて踊りが上手い」なので注意。
どのような原理かは知らないですが、12月1月公演において、私が通い詰めた中で一日だけやたらと踊りが上手かったのです。
いつものように「頑張りすぎて滑稽なほど踊っていた」ではなく「適度に体が動いていた」なので更に注意。
これを求めて彷徨うならば、大変な苦行とも言えるでしょう。っていうか二度と見られる気がしないヨ。
なんにしろ舞台において単純な頑張りを見たいのならば「夜公演」を狙っていくべきですね。
なぜならば、昼公演は次の公演(夜公演)ために余力を残す場合が多いため。
通して言えることは、「田口は明らかに舞台>コンサートである」ということです。
気合の入っていない舞台と、真面目にやっているコンサートが等しいぐらいだと思ってくれればいいでしょう。
つまり、気合の入っていないコンサートとなると、もはや比較対象にすらならない、と・・・。
最悪だ。
2.お手振り曲
先に断言しておきます。
コンサートにおいてウチワすらほぼ持たない自分に、お手振りがどうの、など知るよしもない!
では何を敢えて言うというのか?
答えは「いかに外周を回ってる田口を遠くから観察すべきか?」です。
そして結論は「目の端に田口を捉えながら、2押しを観察しとけ」
コンサートのお手振り曲は、大概にして全員がそろって外周をぐるぐるうろうろと回っていますね。
そこで「私に!私に!」という餌を求める鯉にならない人は何をしているのでしょうか?
(注意:そんな鯉が私は大好きです。たまに自分も鯉になります。テンションによります)
単純です。すれ違い様に交流しているJr達を観察しているのです。
そろそろコンサートでもなければJr同士の交流などお目にかかれなくなっていますよね。
ならばコンサートで見ないでいつ見るのだ?というわけで目を皿にしてチェック。
そのうち気付いたこと。
「田口を見ていても面白くもなんともない」
そう、悲しいかな、他のJrと交流がほっとんどありやがらねぇでございますです。はい。
一人早々に外周の端っこへ到達(他のメンツはまだメインステージ近く)。
他のメンツがようやっと外周全体に行き渡ったなーと思った頃には、彼奴は既にメインステージへ帰還済みです。
何してやがるのでしょうか。これでは交流どころか、むしろ輪を乱すぐらいの勢いです。
これが某YHさんだったりしたら許されるのでしょうが、そこはアレです。キャラの違いです。
彼は彼だというだけで、殆どが許されているのです。昔のSO氏を見ているようです。踊れ大野(当時の口癖)。
しかし田口は持ち前の存在感でとりあえず浮いてる行為はカバー(それってダメじゃん)
残る問題の「交流がねぇでやんの」ですが・・・
こればっかりはどうしようもないのです。しないもんは、しないのです。
必死こいて延々と観察して、やっと見たのがスモークで遊んでたら小山が笑いかけてくれてた、なんて切ないです。
やっと見つけてその程度かい、と。
その後小山を追えば、直後にシゲと肩組んで外周回って手を振り続けていました。
そう、これが交流よね。小山なら苦労せずに見られたのにどうして田口はこんなに頑張らないとならないのか・・・
涙を押さえながら出した結論が「そこまでして田口を見てどうする」
極論ですが、正論ですね。
というわけで、「万が一のために視界の隅に田口は捕らえておく」という行為はしておきましょう。
交流がない田口。万が一あったら「希少価値」ですから。
ちなみに目の端に大変捉えやすいです。なんせ、単独行動してますから。
もしその時のカツンの衣装が目立つものならば更に捉えやすくなります。
大抵カツンなら2,3人のまとまりと、離れて1つポツンですから・・・。
他、随時追加更新予定・・・・・・
これらを踏まえて、いや、踏まえないで、どうぞ皆々様も田口観察に勤しんでくださいませ。
いいですね。くれぐれも、踏まえないように。
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